私はなぜか人を「上とか下とか」表す言葉に強く反応してしまいます。
身分の差とか貧富の差とか産まれの差とか
それは過去、私の魂が体験してきた強い傷からなのか、敏感です😃
そして今日ふとその答えが分かったような気がしたのです。
私はずっと「見下されている自分」が嫌で
その言葉たちを拒否していたのだろうと思っていたのですが
それは大いなる勘違いかもしれない。 それよりもはるかに大切なことに気づいていなかったかも、、
いや、もしかしたら違うかもしれませんが
新たな答えが出たのでここで一旦、決意として記しておこうかと。
憧れの人に手が届かない理由は
才能が無いわけでも
勇気が無いわけでも
運が無いわけでもなくて
レベルが違うから。な、だけで
生きているステージが違うのだなと。。
私は、魂のステージは身分や貧富の差で決まると思っていたので
(産まれは決まっているから)
どんなに努力をしても変わらないものだとずっと思い込んでいたのです。
(夢は叶うよっ☆)
だから、それをズバリ言われたときに「反応」していた。
そして、そのことを証明する為に
付き合いたくない魂と付き合い続けていた。
自分が思っていることが正しいということを証明するためだけに
本当は「違和感」を感じている魂と無理矢理一緒にいたのだなぁと。
もちろん、人間は成長します。
魂レベルは上がります。
途中から自分と同じレベルに上がってくる魂とは最初は違和感でも、
後から付き合えるようになることもあります。
違和感を感じている魂たちが
自分の足を引っ張っていることを気づいているのにそのままにしてきました。
それは人を切る。
レベルが合わないからと、
人を見下したように偉そうな発言をするそんな魂が醜いと思えて
そんな酷いことをしないひとたちこそが本当に美しい魂を持つひとだと信じたかったから。
それを証明したかったから。
たったこの一つの、
ちっぽけな勘違いの為に訳の分からないストレスが肩に乗っかって😅
ひと(縁)は切るとか切らないとかそんなんじゃないよ、
と言っていたよな何日か前の私
暖かく心地の良い空間に身を置くことで
なんて思われるか気になるとか嫌われたらどうしようとか
そんなのがなくなって純粋な心で自分を見てみたら
小さなことにこだわって
ガラクタを守り続けていた自分が見えたので大いに笑ってやります🤣
天狗👺になりたくないけど
思いやりのある天狗ならば
それくらいのものにはなってみるほうが得策かもしれないと思った次第です。
レベルは決まっているのであがいたところで
落ち着くところに落ち着くしかない。
(これは成長する以前の段階のお話です)
上でも下でも本来いるべきステージと違うところにいれば
その歪みは必ず出てくる。
心地が良いか違和感を感じるのか
心地の良さで周りを固めてみればその中にもある、
絶妙な違和感と自分の勘違いが分かります✨
何が心地が良いのか?もそれをやって初めて気づきました😊
0コメント